【余仪なくされる(和及余仪なくさせる及的)】「余儀なくされる」と「余儀なくさせる」は、日本語においてよく使われる表現で、どちらも「やむを得ない状況に追い込まれる」という意味を持つが、文法的な役割やニュアンスには大きな違いがあります。この2つの表現を正しく理解し、適切に使い分けることは、日本語の習得にとって重要なポイントです。
まず、「余儀なくされる」について説明します。「余儀(よぎ)」とは、余分なことや余裕のことを指し、「なくされる」は「なくなる」「失われる」という意味を持ちます。したがって、「余儀なくされる」とは、「余裕や選択肢がなくなってしまう」という状況を表します。これは、主に受動態で使われ、外部からの原因によって起こる状況を示します。
例えば、「彼は病気で仕事を休まざるを得なかった」という文では、「余儀なくされる」が使われています。これは、本人の意思とは関係なく、病気という外的な要因によって仕事から離れざるを得なくなったことを意味しています。
一方、「余儀なくさせる」は、能動態で使われ、誰かが他の人を余儀なくさせるという意味になります。「余儀なくさせる」は、ある人が他者に対して、選択の余地がない状況を作り出すことを指します。
たとえば、「会社の経営状況が悪化し、社員を解雇せざるを得なくなった」という文では、「余儀なくさせる」が使われています。これは、会社が経営上の理由により、社員を解雇しなければならない状況に追い込んだことを意味しています。
このように、「余儀なくされる」は受動的に状況に巻き込まれるとき、「余儀なくさせる」は他者がその状況を強制するときに使われます。また、どちらも「やむを得ない」というニュアンスを含んでいますが、文脈によって使い分けが必要です。
さらに、「余儀なくされる」は、自然な状況や外的な要因によって起こることが多く、「余儀なくさせる」は、人為的な判断や行動によって引き起こされることが多いです。この点も注意すべきポイントです。
日本語を学んでいる人にとっては、この2つの表現の使い分けが難しい場合もありますが、文脈や主語、動詞の形を意識することで、より正確に使いこなせるようになります。
まとめると、「余儀なくされる」は「やむを得ず~される」、「余儀なくさせる」は「やむを得ず~させる」という構造であり、それぞれが異なる文法的役割と意味を持っています。この違いを理解し、実際の文章の中で適切に使用できるようになれば、日本語の表現力が大きく向上します。


